朝靄の中で

11/14(月)23:35

 朝はジムに来る前に、ボールペンの芯を買おうと、近くの店に入った。
 以前は、1階で販売されていたが、最近は冷凍食品等が売られていて、階が変わっていた。
 買い物のカートを押して、独り言を言いながら買い物している人の傍を通ってエレベーターで上階へ行った。
 途中で文房具売り場の階を確認して、目的階迄到達するまでに、階を横切ってエスカレーターに乗り換えてといふ作業もあった。
 ボールペンの芯のコーナーに到着したが、数種類あるので、昨日、スマホで、空になったボールペンの芯の入ったビニール袋の写真を確認した。
 5本入りを2袋購入したが、色はブラックのみである。
 替え芯を購入するのであれば、本体は購入しなくていいのではないかと思ふかもしれないが、誤りである。
 書くときに思考が充実して指に力を加える時によく真ん中でボールペンを折ってしまう。
 取り替えるのが面倒なので、家で使うボールペンは折れたボールペンを使用しているが、器用にかけている方だと思う。
 ボールペンにも壊れてもらわなくてはいけない業種もあると思うので、少しぐらいの不都合が生じても余計な苦情を慎むのは人間としては必要なことではなかろうか?
 読者の中にはパソコンしか使わないので、関係ないといふむきもあろうかとは思いますが、100年以上前の人間であれば自筆で紙に文字を書いていたといふことは、100年前の飼い犬も確認済みであると思ふ。
 現代の利器を使用するのは当然ではありますが、紙に文字を書いた時にミミズの這ったような字やあまり漢字を書けなくなったといふ人も増えているのではないかと思います。
 「それがどうした」という意見もあるかと思いますが、「下手くそな字しか書けなくなった人間」といふことになり、文字が発明されてから最も字の下手くそな時代の烙印を押される日もそう遠くはないでしょう。
 100年前の飼い犬は読めた字も現代の飼い犬ではもはや読むことが出来なくなっているかもしれません。
 ボールペン置き場の階数が変わっていた紅葉の秋も深まる朝靄の中に?時代の流れを感じるのは私だけでしょうか?
 「私は鉛筆派だ」といふ方がおられましたら、それもまた時代の流れだと思って噛みしめてください。
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