大判焼きの歴史と現代社会

10/6(金)23:50

 ジムに向かっている途中、大判焼きを買って、ジムに入った。
 丸くて温かく中には熱い餡子が入っているので、冷蔵庫から冷やした水を持ち出して、緑色のカップに水を入れて準備した。
 大判焼きは、2個までなら紙の袋に入れてくれるが、3個以上注文すると透明の長方形のプラスチック製のウナギの寝床のようなものに入れて、輪ゴムで留めてくれる仕組みになっている。
 輪ゴムを外して、丸い大判焼きを右腕で一掴みし、食べる。
 2分くらいで3個完食した。
 急いで食べると、中の餡子が熱いので喉が火傷しそうになる。
 某吉○家では、昔の人が仕事の途中で急いで食事をしないといけないので、牛丼をかきこんでいたといふような日本画?が飾られていたのを見たことがある。
 私もそれと似たような発想かは分からないが、時間がない時に。旨いものを素早く食べる時に利用させてもらっているので、令和の早飯(ファーストフード)といふことになるのだろう。
 令和と書いたが、大判焼きの歴史で検索すると、江戸時代に今川焼として始まったようだ。
 江戸時代を忙しく生きていた人が、早飯の為に日本的な餡子の旨い食べ物を発明したということだと思うので、江戸時代の慌ただしい街中が、脳裏に浮かんだ。
 浮世絵や岡っ引き、武士に寺子屋、お代官様、火消し、打ちこわし、参勤交代等、威勢の良さそうな人が溢れかえっていた時代ではないかと思ふ。
 現代人がタイムスリップして、江戸時代に迷い込んだら、スマホを持ってうろうろしていたら、牢屋にぶち込まれて、冷い飯を食べさせられるだけだろう。
 それくらいの勢いはあると思う。
 今はそんな人はいないのかと言えば、アメリカ女性判事で検索すると出てくるが、もう亡くなられたようだが、小柄であるが一歩も引かずに世界中から尊敬されている人もいたようなので、江戸時代にも負けてはいないかもしれない。
 大判焼きの歴史から色々なことが想像できて、けふもまた勉強させて頂いた。
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